清く 楽しく 美しく♪

No Takarazuka No Life

きたない字!

・・・と言いかけて思いとどまった。

文字に汚いも綺麗もない。
読めないものは「内容を伝える」という目的を果たせていない、という意味で困るが、きたないとはいえ読めて内容が伝わるのであれば、なんの問題もない。

きたない、という言葉だって、バランスが悪いとか
自分の好きな感じではない、という程度のこと。
教科書に載っている形と違う、とか。

考えてみれば字が書けるだけですごいことだ。
読み書きを教えてくれた人がいたから。
読み書きをする道具、紙と鉛筆があったから。
綺麗に書けるのは、お習字を習わせてもらったから。
平和な国で、教育が受けられる環境にあったから。

きれいだったらいいかというと、達筆すぎて読めない現象も私は数多く知っている。
そんな文字はきたないと同レベルだ。

自分自身はお習字も習っていたし、字が綺麗、と言っていただく機会も多いため、字には自信を持っている。
それだって、きたない(いや、個性的)な字を書く人がいるからこそ私の字の読みやすさが際立つのだろう。

私の大好きな宝塚の世界でも、書く文字については評価されるものでは全くないが、意外性を感じる人はたくさんいる。

私のご贔屓はとても読みやすく愛らしい字を書く人だ。

思えば、他人の直筆を見る機会はすごく減った。
学生時代のノート、オフィスであれば、伝言メモ(電話メモ)、年賀状・・・。

最近は寄せ書きの色紙すらWebでできるため、書くことがない。
昔はどこに書くか、何色のペンで書くか、どーでもいいことで悩んだものだった。

宝塚は手書き文字を見る機会がとても多い世界だと思う。
ファンから贔屓のスターに渡すのは直筆のお手紙。
スターさんからいただくお礼状も直筆(あるいはその印刷)。

贔屓のスターさんの書かれた文字を見ると、親近感が湧き、とてもほっこりした気持ちになる。
手書きの良さってあるよなぁ。

改めて色々感じて気づきがあった今日この頃。