現在宝塚大劇場で星組が公演中の演目は「霧深きエルベ川のほとり」
菊田一夫先生が宝塚のために書かれた名作だ。
初演は1963年(昭和38年)。
半世紀前だというのにここで描かれている世界の古さよ。
あえてそのまま残しているのかもしれないが、ひょっとしたら時代に合わせて表現などを変えないと違和感がありすぎるところもあるんじゃないかなと今日3回目の観劇を終えて改めて思った。
言葉が和物。
ドイツ貴族のお話なのに、自分の女房に新しい着物を買ってやる、という「着物」
ドレスとかお洋服、ではなく着物。
また、「病葉(わくらば)」という言葉も初めて知った。
虫に食われたり病気になったり、夏なのに枯れてしまった葉っぱのことを言うらしいのだけれど。
結婚するのに「教会で正式に祝詞をあげる」とか「俺が文士だったら」とか。
フカとかもサメのことだけれど、知らないよねぇ。
それに、
愛するのに身分の高さも職業の低さも関係ないって言うフロリアンのセリフからは、
水夫は低い職業として見られいるのかぁような表現だし。
カールもいくら悪態ついて悪ぶってるからってもらった手切れ金でマルギットのことをペチペチ叩くのはなんだか見ていて気分が悪くなる。
昔の文学的な言葉がやわらかくていいところもあるかもしれないけれど。
だから昔々宝塚で。。。という感じなのかしら。