断捨離をしようとテーマに掲げた夏休み企画第1弾。
3日間で「メルカリに出品するもの用」として用意した箱は(私にとっての)不要品でいっぱいになりました。
私にとっては不要品。でも他の誰かにとってはとても欲しいもの、あるいは価値があるものかもしれないのです。
メルカリを見ていて、「え?こんなものも売れるの??」と知ってしまうと、なかなかモノが捨てられなくなってしまいました。
ここで天秤にかけるのが難しいのが自分の現在の時給と、このモノを売ったことによる手間と儲け。
自分で値付けのマーケティングから商品の宣伝、物販(購入者とのやりとり・梱包・発送)までするわけです。
送料を引いたら手取りが数百円なんてザラです。
それを考えれば、ハードオフ的なお店にまとめてひきとってもらえば、面倒なやりとりは一切ナシ、ものはすぐに目の前から消えます。部屋を手っ取り早く綺麗にするには捨てるに限る。
ただし買取価格に愕然とすることもしばしば。不要品とはいえ、ちょっとは自分の所有物であったものが二束三文で買い叩かれると自分自身を否定されたような気にさえなってしまいます。
そう考えると、自分で売値を決められるのはよい制度だと思います。
しかし現実問題、なかなか売れません。流通量が多すぎるし、なにも中古なんて買わなくても、みんな新品買えるだけの経済力はあるし、そもそもそこまで手に入りにくいものを売ってるわけじゃないですから。
いつか売りに出す日のことを考えると、ノーブランドや間に合わせのものは、買わないほうがよさそうです。
飽きても、合わなくても、まず売れません。
買うときから売ることを考えて買うのはおかしな話です。
モノは使ってこそ。自分のために役立ってこそその価値があるのですから。
自己肯定感を高めるトレーニングで、しまいこんでいるいい品物を自分のために下ろして使ってみる、というのがあります。
おまけのカップ、塗りのはげた箸、ヨレヨレのタオルやパジャマなど、人には到底見せられない、貸せない代物で日常生活していないでしょうか。
自分は他のひとも要らないようなものを使っているのか。
ショックだけれどこれが現実。
自分にも好きな人をもてなすような待遇でもって接してあげれば、自己肯定感もグングンあがり、美しくなっちゃうような気がしてきました。
人は自分が自分を扱うように扱う法則ですからね!